*Hana*の憂鬱

なんとなく生き苦しい。アラサーずぼら女の生態観察日記。

「道具」と「絆」

f:id:Hana_9955:20200518181553p:plain

f:id:Hana_9955:20200518181628p:plain

f:id:Hana_9955:20200518181641p:plain

f:id:Hana_9955:20200518181656p:plain

f:id:Hana_9955:20200518181715p:plain

 

 

f:id:Hana_9955:20200518181738p:plain

 

 

 

 

同僚や上司、または先生や同級生。

はたまた友達やその友達。

自分の周りにはいろんな登場人物がいる。

 

自信のなさから、

周りに褒めてもらえたり、

認めてもらうことで

自らの承認欲求を満たしている人は

この世にたくさんいる。

私自身もそうだ。

そこにいる存在意義がないと生きていけない。

 

私が働くうえで一番苦痛なのは、

「使えない」と思われながら

そこで働くこと。

いてもいなくても同じ人間だと、

突きつけられることだ。

 

だから空気も読むし、

人に合わせてばかりいる。

勉強も仕事も必死に頑張る。

 

そして、承認欲求を満たしてくれる環境が

壊れることをひどく恐れる。

余計に言いたいことも言えないし、

何が自分なのかわからなくもなってくる。

 

「認められた」ことで欲求を満たしても、

それは一時的な快楽でしかない。

どんどん相手の要望は高くなっていくし、

それに応えないと、自分の欲求を

満たすことはできない。

 

そして、

そこには決定的に「絆」が存在しない。

 

 

私にとって、周りの人は、

自分の欲求を満たす「道具」でしかないから。

 

目の前の人がどんな人であれ、

「自分」が嫌われないように、

「自分」が好かれるように、

「自分」必要とされるように・・・。

 

結局は、

全部「自分」のことしか考えていないのだ。

 

なのに、

「自分なんか愛されない」

「誰も愛してくれない」と、もがき苦しむ。

 

自分が相手を道具としか見ていないのに、

愛されたいなんてただの傲慢だ。

 

「自分の人生の主役は自分」

という言葉があるけど、

ほんとにそうだと思う。

 

だけど勘違いしちゃいけないのは、

自分以外の人は脇役でもエキストラでもない、

ということ。

 

命の数だけ、それぞれの人生があり、

命の数だけ主人公がいるのだ。

 

私は落ち込むほどに人をひとまとめにする。

「人間なんて」

「あいつらなんて」

「どうせみんな・・・」

 

自分が一番ひとまとめにされたくないくせに。

ひとりの人間としてみてほしいくせに。

 

そんな自分でいる限り、たぶんずっと同じ。

 

相手とまっすぐに向き合ったとき、

はじめて見える景色が

きっとそこには広がっている。

 

 

言葉とは、

誰かの機嫌をとるためでも、

誰かの人生のエキストラになるために

あるんじゃない。

 

言葉とは、

自分を表現し、

自分の人生を彩るためにある。

 

私はそう信じている。

そして今日も生きていく。

 

 

-----------------------------------------------------

 

こんにちは、Hanaです。

ここまでお読みいただき、

ありがとうございました(*^v^*)

 

 

今回は

自分自身を冷静に省みたときに、

そりゃ、うまくいかないよね・・・

と反省した気持ちを綴っています。

 

30年以上生きてきて、

会いたいと思える友達も

心から大切だと思える人も

片手で足りる数しかいません。

 

そういった人たちが、

他の人たちと何が違うっていったら、

かけた時間と自分の意識が違う。

そしてもらった「愛」や「信頼」の

量と質量が圧倒的に違う。

 

やっぱり、とっても単純ですが、

じっくりと相手と向きあうのが、

大事なんだと改めて思いました^^

 

数だけ見たら、

友達少なっ!って思うんですけど、

不思議と自分が不幸だとは思いません。

 

幸せって、

目に見えるものじゃないな~って

最近ひしひしと感じているところです。

 

 

少しでも共感していただけたら幸いです。

興味があれば、

また見に来ていただけると嬉しいです^^♪

 

 

 

Hana